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迷走中

 


西家スタート


東1局に積まれて


東2局は捌く必要があった。


そこからはいる、場況の精査こそが麻雀の思考のはじまりだ。


時間制限のある対局なので、積まれるとオーラスまで辿り着かない。


半荘の途中で、終局となること、そのことがたまらなく嫌だ。


個人的には、時間内にオーラスに辿り着けないゲームは


麻雀として成立していない、と考えている。


麻雀は、他家の親をいかに落とすか?がとても大切。


自分の親をいかに消化するか?ことよりも


とても大切なことなのだけれど、なかなかままならない。


 まだ、つかさ会の多くの仲間は、「麻雀が、半荘単位」のゲーム


であることがよく理解できていない。


親は積めばよい。


親には振らないほうがよい。


そのステージを越えることができていない。


親はメリットばかりではない。


親に振らないようにすることよりも


親に振らないようにしなければならない


局面をつくらないことのほうが大切だ。


最近、温度の高い参加者が数名いるので、


余計なことを口に出しそうになる。


麻雀は、ひとぞれぞれで!


他人の麻雀に口出しは、諸刃の剣で!


本気で厳しくやると、きつくてだれもついてこれない!


(自分もきついし)


そういう気持ちはマイナスで、だれもしあわせになれない、


ということは、もうイヤというほど思い知ったのに


それでも、気持ちのどこかで、


そういう麻雀を求めている。


一局、一打でもいい、全身全霊を賭けて挑みたい。


混じりけのない真っ白な麻雀。


楽しくはない。


楽しくはないけれど、何かの真実に近づいている


あのなんともいえない充足感と、高揚感。


そして、その日々こそを、楽しかった、と思う自分がここにいる。


あの呼吸すらままならない、緊張のなかのあの麻雀こそを


求めて止まない自分がいる。


何が本当なのか、自分でもよくわからない。


楽しいことが楽しいのか、


苦しいけれど、挑戦することが、結果楽しいのか?


わからないのだけれど。でも、


けれど、現地点では、仲良し麻雀や、楽しい麻雀が、


自分の麻雀の「本当でないこと」だけは間違いがなさそうだ。


でもね、自分の麻雀を強要したり、それ以外の麻雀を


否定した地点で世界は終わるから。


肯定の先に自分の麻雀を重ねたい。


でも、どうすればいいのか、わからない。


だから、ただ、現在は、


いつか起こるかもしれないレゾナンスを信じて


ひたすら静謐に、他人の麻雀を見つめることしかできないのだ。


 


 


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