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祈り [閑話休題]

 私見です。


賛同者は、ほとんどいまぜん。


ただ、自分はそう思う、というただそれだけです。


このブログは、そのためのものなので。


はやく打てない人への、中傷ではございません。


ただ、準備をして、「リズムよく打つ、麻雀」の心地よさを共有したい。


また、思考の総量を競うゲームなのに


考える時間が平等ではない、ということが


なんとなく納得ができないのです。


こういう記事を書くからと言って、逡巡するひとを


中傷するつもりもないし、


逡巡するひとと、打ちたくないわけでは、全くありませんから


誤解なきよう。ただの私見です。


わたしが好きなのは、


4人で打つ、4人で作る麻雀です。


くどいようですが・・・


この記事を掲載することで、まだ、迷いながら打牌を重ねている


誰かを傷つけてしまうことを恐れます。


けれど、自分の信じる麻雀を、形にできないのであれば


ブログを続ける意味も、続けてきた意味もなくなるから。


これは、私の麻雀観。


正しいとか、間違いとか、そういうことではなく。


ただ、そういう観念なのです。


ただ、わたしの願いです。


いや、祈り、のようなもの。


・・・・・・・・・・・・・・


プロと呼ばれる人たちが、


逡巡上等の対局をされていることも原因かも知れません。


ただ、動画などで、プロが逡巡する理由は


「ここは、考えるべき局面だ」と


視聴者にお届けする意味が大きいのだろう、と私は理解しています。


 


私は、私個人の麻雀観としては、これまでの経験や思い、それらをすべて駆使して


瞬間的に決断するからこそ、麻雀は美しいのだ、と思っています。


瞬間的な悔いのない決断には、揺るぎない積み重ねが必要で、


だからこそ、一打には珠玉の価値が生まれるのだと。


:::::::::::::::::::::::::


ほとんどのひとが、はやく打つことに、抵抗がある。


「ちゃんと、考えて打たないと失礼じゃないですか?」


「ちゃんと考えたいんですよ!」


「うるせーな、せかすな!」


「切り間違ったら、どうするんだ!」


はやく打つ、というと語弊があるのか?


準備をして、リズムよく打つ。


準備をする。


同卓者のために。


この意識は、点棒の授受や申告など


麻雀の大切な所作に繋がってゆく。


そして、やがて大きな気づきに繋がる。


わたしは、時間がかかってもよいから、


現在は届かなくてもよいから、


少なくとも、そのことを意識して欲しいと思う。


心から思う。


すぐにはできない、と思う。


けれど、意識しないと絶対に変わらない。


やればできるかも知れない、


けれど、やろうとしなければ、絶対にできない。


 


:::::::::::::::::


 前の客。


おにぎり2つをかごに入れて並んでいる。


番が来て、


①かごからおにぎりを出し


②バックから財布を出し


③金額を聞いて


④財布の中を小銭を全部出して


⑤数えて


⑥払う


・・・・・・・・・・・・・・


この時間を、後ろで待機して待つ。


この前のひと。


周囲に迷惑をかけないために、準備をする


という気遣いが、ゼロなのだ。


もちろん、そんなつもりはないのだろうことも


わかってはいるけれど。


そんなつもりはないから、残酷なのだ。


それを我慢できる、できない、のハナシは別にして。


麻雀でも、同じことがいえる、と思う。


それを我慢できる、できない、の度量の話は別にして。


他人の時間を奪ってはいけない。


結果、時間を奪うことになったとしても


他人の時間を奪ってはいけない、という気持ちを持たなければならない。


私は、自分の打っていた環境が音速だったこともあってか、


リズムよくテンポよく打つことに慣れすぎている。


4人で作り上げている対局において、


自分の麻雀の力不足による選択のために、


他人の時間を奪うことは、ご法度だと思うから。


もちろん、間違って牌を抜いたり


もっとじっくり考えたい、と思うことなんてショッチュウだったけど。


いや、ショッチュウだけども。


メンチンのときなんて、ひやひやものですよ。


でも、実戦で届かない部分は反省しかないわけだから。


麻雀のおける自分の思考時間は


「自分のツモ番が来るまで」。


それまでに決断できないのであれば、


どのような場況であっても


それはそのひとの力不足でしょう?


もし、何時間かけてもよい、っていうなら


毎回自分の番が来るたびに


全ての牌をカウントしていけば、


自分の手牌とか、相手の手牌とか、


ノータイムで打牌を重ねるよりは、見えてくる訳だから。


瞬間的な情報処理能力を競うから、麻雀はおもしろい。


私はそう思う。


リズムよく、テンポよく。


誰かが逡巡している時間を使って、


自分も考えればいいじゃない?という意見もあろう。


例えば、時間制限のある対局において


誰かの勝手で、誰かが精査したい局面において


(そのひとが場の状況を精査したいという我欲のために)


時間を止められ、オーラスまでのゲーム展開に支障をきたす、


なんて、おかしいでしょ?麻雀ではないでしょう?


そこも含めて麻雀、というのであれば、


誰がの逡巡まで予測しなければいけないのか?


それが、麻雀か?不公平すぎるだろう?


というハナシにもなるだろう。


いつだったか、オーラスを迎えたくないために


牛歩戦術を駆使するプロの対局を観戦したことがあるのだけれど、


とてつもなく醜悪な雰囲気だった。


同卓者、観戦者を踏まえて、チョー空気わるい。


まあ、ルール以前の問題ですね。


もちろん、つかさ会のような勉強会では


時間をとめて考えることも(それが目的だから)必要でしょう。


考え、おのおのの謎を究明するための場所だから。


ならば時間を止めるに値する対応をするべきかな、との反省もある。


はやく打つことの代償に、打牌がおろそかになってしまうようでは、


参加してくださっているみなさまに申し訳ないですし。


このあたりのことは、ほんとうに、むつかしい。


時に流さず、その局面を切り取って、しっかりと教材にする。


参加者全員の教材とするための方法をみつけだせずにいる。


 


 


 


 


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Yにょとの旅打ち、再録しました
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