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いつか、その場所へ [麻雀レシピ]

 これは、私個人の思い描いている終着駅を

ただ書きこぼしているだけだ。

だから、そうは思わない方は、申し訳ないので、読み飛ばしてください。

望む麻雀なんて、本当に人それぞれだから。 

私の思う麻雀の最高形は

考える必要のない一体感のある麻雀」、これです。

対局は4人で作り上げる ひとつの作品。

打牌のリズム、その内容、そして、想い。

最高形を目指してみなで作り上げてゆく。

自分の得とか損とか、そんな打算は麻雀には

まったく必要なくて、ただ自然に対局に溶け込んでゆく。

ただ、そこに到達するには、

当たり前の牌の理屈くらいは理解できていないと、

全くお話にならない。

両面ターツの価値がわかっていて、それでもなお

それを自然に払わずを得ない、圧倒的な感覚。

言語化することが本当に難しいから、記事にすることも

憚られるのだけれど。

:::::::::::::::

「とにかく、考えなさい。

頭がひっくり返るぐらい打牌の理由を考えなさい。

1打の理由に原稿用紙3枚、書けるくらい。

それができるようになれば、

考えなくても打てるようになる。

そうしたら、わしは、あなたと麻雀を打てる。」

出会って間もないころ、師匠にその言葉をももらった。

対局中に、他家の時間を奪う

小考や逡巡は禁止。

私語はもちろん、飲物も禁止。

(そんな余裕はない) 

禁止されているから、ではなく

みなでよい麻雀を目指すから、

自分の打牌のために 、他人の時間を奪うなんて

あり得ない考えだった。

1点を求めて、同じリズムで打牌が続く。

余計な考えは、その心地よいリズムのなかで淘汰される。

当たり前の振り込み。

当たり前の和了。

自分という感覚がなくなり、牌に従って前に進む。

この心地よさに、勝るものはない。

私は、ただの私として、当たり前に打つだけだ。

この自然な感覚は、現在でも本当にまれにふってくる。

まあ、自分にしかわからないものを、ブログにいくらこぼしても、

伝えようがないことなのだけれど。 

またそういう麻雀を、いくらそれを私が望んでも

ひとりでは何もできない。

ひとりでは、たどり着けない。

だって、麻雀は4人で打つものなのだから。 

::::::::::::::::::::

5月の風が、心地よい。

そんなゴールデンウイークの、とある昼下がり。

麻雀教室の貸し切り状態にして、5人で半荘3回打った。

師匠のご子息たちと、どいんちゃんの5人。

クラスのみんなにはないしょだよ!

的な教室のみんなには内緒の対局。 

約束の時間に教室に着くと、師匠は先にいらっしゃっていて

「今日は、わし、本気で打とうとおもっちょる。」

と、わたしににっこり。

どういう意図なのかは私にはよくわからなかったけど、

なんだか、いつもと違う感覚の中、対局がはじまった。 

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横移動 [麻雀レシピ]

誰かが、もーれつに高い手組の時、

「ああ、なんとか、無傷ですまないだろうか?」

と考える。

自分が、無傷で済むためには

無傷で済むためには

・・・・

そうだ!

だれか、他のひとに振ってもらえばいいんだ!

そうすれば、自分より着順のしたの人間が生まれるわけだし

一石二鳥。

フリーばっか行ってた時には、

自分がトップを取ることより、

自分より着順の下に人間をつくることが

優先されるべき事柄だった。

着順が下がると選択肢が少なくなる。 

選択肢の少ない人間は、予測がしやすい。

それは、南場になれば なおのこと顕著になるから。

自分が和了できそうもないときには、

まず、だれか、他のひとに仕事をしてもらうことを考える。

4人で打つ麻雀は、

いやいや麻雀は4人で打つものだから

何もかも自分で決着をつけようとしてはいけない。

・・・・・・・・・・・・・・・・

横移動といえば。。 

過去の対局で、

東1局北家。

11巡目くらいに、南家が親に国士を振って飛んだ。

卓について2分くらいで、

北家だったこともあり、3着の払いと役満祝儀を

ふんだくられたことがある。

 yjimagessss.jpg

 

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打てぬ [麻雀レシピ]

麻雀打とうよ!」

この一言がいえない。

だって、誘っておいて、後でこっちの都合が悪くなったなら

それはもうあるまじき行為じゃない。 

「相手から、打とうよ!」って言ってくれたとしても、

仕事とか家族のこととか、あるし・・。

もう、あの頃の様に、打てるはずもないんだよ。 

自分の自由な時間すら、わずかなのに

それを時間泥棒な麻雀になんて、

使いたくても使えないんですう・・。 

つらたん・・・ 

そういう時代なんだよね。

麻雀の優先順位って、もはや存在していなくって、

麻雀を理由にして許されることなんて、ほぼ皆無。

麻雀>となる事柄は、存在すら難しい。

セットで卓を立てる、ということそのものが

もはや都市伝説なのだ。 

打ちたいけど、打てないんだよ。  

:::::::::::::::

とうさんが麻雀を打ってた時代は終わった。

仕事のあと、ちょっとつまみますか?

なんてことまずあり得ない。

お酒でのこみにゅけーしょんさえ、ハラスメントをはらんでいるのに、

麻雀なんて、リスキーすぎる。

先日の対局でですね。

課長のダマ3200に ぶちささったんですよ。

「出ると思った」

のセリフつきで。

私は深く傷つきました。 

「裁判です!」 

とか、言い出す人とか、出てきそう。 

(私です。私) 

麻雀誘っても、パワハラとか言われそうだし。 

それにね、外で打てば場代だってかかるし・・。

そんなこんなで、もう、めんどくさくって「打てぬ」となるわけですわ。

ひとりで、フリー行ったり、

天鳳に潜っているほうが、よっぽど

ストレスなく効率よく楽しめるってわけなんですよ。

 

 おおimages.jpg

 

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打ちたい? [麻雀レシピ]

麻雀打とうよ!」

この一言がいえない。

だって、断られたら恥ずかしいじゃない。

「相手から、打とうよ!」って言ってくれないかな?

だったら、自分も、麻雀を打ちたい自分も麻雀が打てるのに・・・

声をかけてもらえないと、自分からは誘えない・・・・。

つらたん・・・ 

そういう時代なんだろうか?

麻雀の優先順位って、自分たちの時代と較べると

なんだか低くなっている気がする。 

というか、もしかしたら、セットで卓を立てる、

ということそのものが、非常に困難になってきているのかもしれない。 

私なんかには、その感覚が全く理解できない。 

打ちたいけど、打ちたい、といえない人間なんて存在しなかった。  

::::::::::::::::

学生時代は、4限終われば

当たり前のようにみな雀荘に足を運んでいたし、

夜中でも4人いれば、当然麻雀。

4人いるのに、「麻雀を打たない」 なんて選択肢、存在しなかった。

場代がない?とか、そんなことは理由にならない。

持っている人間が立て替えるなんていうのは当たり前。

負けて払う金がない?

勝てばいいんだよ!勝てば! 

だって、みんな「麻雀が打ちたい」のだから。

麻雀を打つこと、が目的なのだから。 

「打つぞ!」

「今日バイトだわ、ちょっと待ってバイト変わってもらうから」

「やるか!」

「ちょっと待って、今セーブポイントへ向かうから」

「打ちたいな。」

「わかった。この確変でやめるわ。」 

「新しい雀荘がある!」

「わかった。30分後な」 

どんなときでも、麻雀より優先されるものなんて、存在しなかった。

また、どんなときでも、麻雀の誘いを断る人間なんていなかった。

まあ、それがよいか、どうか、は別にして。 

麻雀が好き、というよりは、

麻雀で繋がってゆく関係が好き。

そういう感覚だ。 

現在、自分は、麻雀を打ちたい、と思うことはほとんどない。

だけど、麻雀を打ちたい、と思っているひとたちが

麻雀を軸にして集まっている様子を見ることは、たまらなく好きだ。 

それはきっと、「麻雀が好き」ということについては、

絶対的な相手への信頼があるから。 

 おおimages.jpg

 

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マチドリ選択困難な択一 [麻雀レシピ]

 どうにも、選択困難な状況って存在する。

どちらを選ぶしても比較をして

「どちらが優位」ともなかなか判断できない、

そういう状況。

二三七七①③④⑤⑥⑧789

このシャンテンに四を引いて、どうするか?

⑧を切って

二三四七七①③④⑤⑥789

のカン②?

それとも、①を切って

二三四七七③④⑤⑥⑧789

のカン⑦

場の状況は、②と⑦が1枚ずつ、ツモ切りされている。

下家に対して切り出す牌として考えたときも、

将来他家の和了牌となる牌について考えたときも、

⑧切り、カン②待ち、と

①切り、カン⑦待ちには、その差を見つけることができない。

尖牌またぎの①③待ちのカン②のほうが、

尖牌をダイレクトに捕まえる⑥⑧待ちのカン⑦よりも

よさそうだけれど、ダイレクトにリーチを打って

和了牌を掴みにいく、というこの局面においては、

その理屈はあまり意味がないような気がする。

この局にヒントはないか?思い出してみよう。 

配牌から、7ソウをひいて、七ワンをひいて、

四ワンを引いてテンパイ・・・

4と7が強い・・

7、いっぱいひいてるし・・ 

よし、⑦待ちだ。

 (そんなオカルトありえません)

でもね、失敗は許されないんですわ。

ああ、カン②にしておけばよかった、なんて

結果は受け入れることができません。

で、①を切ってカン⑦でリーチ、一発でツモ和了したけれど

そのあと、すこし反省をした。 

ダマにしておけば、どう失敗しても、

②③④⑤⑥⑧(①を切ってカン⑦待ちにしたあと②を引けば⑧を切って)→②③④⑤⑥

①③④⑤⑥⑦(⑧を切ってカン②待ちにしたあと⑦を引けば①を切って)→③④⑤⑥⑦

これで、リーチが打てる。

②③④⑤⑥よりも、尖牌を③と⑦で使用できる③④⑤⑥⑦のほうが、

フリテンリーチを打つにしても、形が強いわけだから、

⑧を切って、カン②

二三四七七①③④⑤⑥789 

にうけて、⑦を引けばフリテンリーチ、

⑤を引いても、

二三四七七③④⑤⑤⑥789

この形でリーチ、とするべきだった、と。

オカルト的な思考もありではあるけれど、

その前に厚く形を組む努力を見据えたい。

マチドリ選択が困難な時は、選択を保留して

再構築できるように下ごしらえをしてみるのも、悪くない。

テンパイ=リーチ、とできないときには、

その「いまひとつ」の気持ちも大切だろう。

 

 

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当り牌だけとまるン [麻雀レシピ]

前にも、記事にして掲載していたかも知れないけれど

麻雀はじめて、3年くらい経った頃かな。

大学でも打って、帰省しても、打って

時間があればフリーに行って・・・

そんな、現在思えば「にわかには信じられない」ような生活を送っていた頃。

なんだか、麻雀しかない、

てゆーか、麻雀があればいいんじゃね?

みたいな生活を送っていた頃。

何にも考えずに、まっすぐ組んでいて、

他家の和了牌だけが、スムーズに切れない。

ひっかかるような違和感を感じて、

スムーズに切れない。

場に2枚見えている西を、そのままツモ切りしようとして、

なんだか、意味もわからず「この牌を切ってはいけない」と感じて

止めたら、親リーチに西はあたりだった。

四が切れているリーチで、七が和了される気がする。

厳密には「気がする」とかではなくて、確信に近く七は和了される。

しかも、六六六七の待ち。

これが、頭に浮かんでくるんだ。

信じてもらえないかもしれないけれど、

本来見えてはいけないはずのものが見えてしまう。

他人の待ちとか、そういうものだけじゃなく、

その先の展開も。

二三四五六七①①②⑦⑦⑦西西

例えば、こんなテンパイ。

③は自分が切っていてフリテンなのに

どうしても③をツモる、と感じる。

根拠はないけど、確信に近い。

それで、フリテンの③に受けたなら

一発で赤をつもりあげて6000オール。

本当に、こんな時期があった。

信じてもらえないかもしれないけれど、

長い麻雀の時間のなかで

自分でも怖すぎるくらいな感覚。

超人的な感覚で打てていた時代があった。

本当に僅かなじかんだったけれど。

私だけではないはずだ。

牌が透けたりとか、そういう経験した人は

絶対にほかにもいるはずだ。

麻雀がアナログで、人の感覚が織り成すものである限り

起こりうる超常現象だ、と思うのだ。

 

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遥かなる旅 [九州麻雀ほうろうき]

実は、麻雀漫画で一番好きな最終回は、

ノーマーク爆牌党、だったりする。

爆岡と鉄壁が、おのおのの麻雀で決着をつける、

そのシーンが大好きだ。 

麻雀は、自分が納得できなきゃ意味がない。 

これこそ、真理だ、と思っている自分がいる。

誰かに褒めてもらいたいわけではなく

また、尊敬されたいわけでもなく、 

自分が納得すること。

憧れる麻雀があって、それを模倣して

覚えた戦術があって、それを実践して

 その積み重ねの遥か彼方に到達点がある、とすれば 

やはり、「これでよい」と、

心の底から、自分と自分の麻雀との物語を肯定できることではないだろうか?

自分と牌との歴史、

自分と同卓してくださった人達を

万感の想いを持って肯定できること。 

「悔いはない」

麻雀を重ねてゆけば、いつかその瞬間がおとずれるはずだ。

これまでの、私の麻雀の歴史の中でも、数えるほども経験できていない

あの「全てが透けて見えるような、透明な感覚」。 

勝ちたいとか、うまくみせようとか、そういういつものことが

全然介入する余地なんてない、あの感覚。

淀みなく、同卓者が誰一人として淀むことなく

一定のリズムで、牌に自然に対応しているだけの

シンプルで心地よい対局。

最後は、そういう対局を経て朽ちたい、と願う。

その為に、そのいつかの対局を目指して

現在はまだ、遥かなる終わりなき旅を歩く。 

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全て押す [麻雀レシピ]

危険だな、と思う牌は、当たったなら嫌なので

それは切らないです。

ええ。

でも、通ってないんだけれど、安全そうだな、

と思う牌は、切り飛ばしていく所存でございます。

それで、和了されることは、ほとんどないから。

その被弾率が高いのであれば、

そもそもの麻雀の基本的な勉強が足りない、ということでしょう。 

無謀で、思い上がった麻雀になっている、かも知れないということ。

;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;; 

結局のところ、局面を問わず

「振り込まない」ことなんて誰にでもできる。

先リーチがかかった時に、

「振り込まない」を選択できれば、それは楽でしょ。

配牌から

「振り込まない」を選択して「振り込まない」こと、は

おそらくほとんどのひとができる。

また、いらない牌を全て切って和了に向かうこと。

これも、誰にだってできる。 

ていうか、これは4人で打つ必要のない

麻雀とは異なる存在の何か。 

論外ですわ。 

さておき、私はそういう麻雀は、好きじゃない。

これは、個人的な意見だし、まあ、局面にもよるのだけれど

麻雀は、場の状況を鑑みて和了を目指すこと。

これが絶対的な命題だ、と思う。

自分が和了すれば、他家は和了できず、

自分がツモ和了をすれば、他家は点棒を支払うわけだから。

それを目指してまず状況判断を身につけるべきだ、と思うのだ。

リスクを背負わずに、リターンを得ようとすることが

麻雀の本質ではない、と思うのだ。

リスクを認識して最大限の情報処理を行い

納得のゆく対価を得る、このバランス感覚を競うこと、

それが麻雀だ、と思う。 

例えば、南3局南家

親番を残した2200点の3着目。

これは、よほど高得点でない限り、

まっすぐ組んで、全て押すくらいの気持ちでよい、と思う。

まだ、親番も残っているし、最大限の攻撃のチャンスだ、と思うからだ。 

また、

南3局 34000点のトップ北家

2着との点差2000点。

こういう場合も点棒を守る必要は少ない。

この南3局で最悪7700振り込んでも、オーラスで

7700を和了すればよいわけだから。

もちろん、例外はあるけれど。 

麻雀、振ってはいけない、ということはない。 

けれど、

振ってはいけない局面で振ってはいけない、

そういう状況はある。

東1局から、振り込みを恐れる必要なんてない。

大切なのは、残りの局数と自分のポジションだ。

そこから、その振り込みの価値を考える。

そうすることで、麻雀の大局観は磨かれるのだ、と思う。

南3局まで、ラスだったとしても、

どういうポジションでのラスなのか、を常に自分に問う。

自分はどういう状況なのか?

何点必要なのか?

そのうえで押し引きを精査するのだ。

これを習慣とすれば、オーラスだけではなく

南場全ての局において

オーラスにむけてやるべきことが見つかるのだ。 

押せると、思えば全部押してよい局面もある。

けれど、そのためにはその状況が

押してもよい局面だ、と判断できていなければならない。 

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50パーセントまで押す [九州麻雀ほうろうき]

今回のテーマは、半分まで押す。

危険そうな牌も50パーセントまで押す。

イーシャンテンでも押す。

そうして、指が和了牌を察知できるくらいまで、

感覚を研ぎ澄ますんだ!

もう、これは、四七待ちだな!

と思った待ちが、⑨と南のシャボだったり、

これに発は切れないな!

と思って止めたら、アンコウだったり。

ずっと、理屈で麻雀打ってるから

感覚で麻雀打てなくなってる。

理屈の麻雀を7年間も打っていたのだから、

無理もないのだけれど、

このほうが、麻雀打ってる、って気がするなあ。

うまくいかない、と感じたら、

どんなところからでも注意して

うまくいきそう、と感じたなら

指が14本折れても、リーチ。

もちろん、理屈じゃないから、マネされては困るし

結果がでるようになるまでには、かなりギリギリの牌を切らなきゃならない。 

また年齢も年齢だから、感覚は戻らないかも知れない。

けれど、正月の麻雀で、

自分は理屈のうえで、成績を守って楽をしてるな、と思った。

納得はできるけれど、自分の心は死んでいる。

「楽をしている」

「だから、つまらない。」

理屈の当たり前の努力の結果だけど、

まあ、それにも、おおきな意味があるのだけれど、

それだと、全然つまんない。

今年のテーマは楽をしない。

今回、一度だけ牌に触れた瞬間にこれが、アタリだと

指でわかった。

カン②ピン。

ああ、この感覚は懐かしいな、と思った。

だけど、半荘数回打って、1回だけだった。

 

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そんなオカルトありえま・・・ [九州麻雀ほうろうき]

卓に強者がいると、高得点の手組は容易に和了できない。

何か、特別な何かが起こらない限り、役満など和了できない。

(そんなオカルトありえません) 

同卓者は、ますたぴょんやF岡先生たちだ。

そうそう容易なこととはならない。

何かの間違いで、とか、そういうこともおきない。

(そんなオカルトありえません) 

けれど、どいんちゃんの国士の和了を見たかった私は

その成り立ちを忘れることができない。

どいんちゃんと私は、同じ時期、ひろりん師匠のもとで

麻雀を学んでいた、いわゆる同期生だ。

現在、どいんちゃんは、すっかり麻雀から身を引いていて

私の帰省時くらいしか麻雀を打たないそうだが

この日も、あの頃と変わらず、魂の打牌を重ねていた。

なんというか、実は私はそのことも、とてもうれしかったのだ。 

:::::::::::::::::::::::::: 

どいんちゃんと席を変わったわたしは、

どこかで、国士を組む必要があるんじゃないか?

と思っていた。

対戦相手が重いから、国士の和了は叶わないだろうけれど

 国士を狙うことで、たどりつける世界があるのではないか?と。 

ソーズの上と北。

9ソウ、と北。

ますたぴょんに潰された国士だけれど、

これをヒントに私が組めば、

今度はますたぴょんの勝負手を潰せるかも知れない。

ここ一番の他家のチャンス手は、恐ろしいくらいの嗅覚で察知。

必ず、 ますたぴょんは潰しにくる。

四四12344789南南

これで、リーチを打ってでも、潰しにくる理屈でない、

その感覚はなんというか、ちょっと神域だ。 

そんなことを考えながら 

わたしの最初の配牌は、 

一二四四⑥⑦⑨38東南白中

ドラ2ソウ 

国士をイメージしていたなら、チャンタチックになった。 

中盤に

一二八九⑦⑨123788東東 

ここから、8ソウを切る。

どいんちゃんもソーズの上が動いてたもんな~とか思いながら。

この巡目に9ソウが3枚切られる。 

次巡三を引き マンズの上が苦しい場の状況に 

一二三八九⑦⑨12378東東 

チャンタ三色目の高め9ソウが3枚も切られた、

ということを考えると、打7ソウ、打8ソウで

構わないのだろうけれど、先般の国士

どいんちゃんの9ソウ引き北待ちが頭を離れない。 

さらに、マンズの上は苦しい、と感じている。 

 八ワンを外す。

そして、次巡 北ツモ。

あ、この北も、先般国士の和了牌じゃないか?

ちょっと大事にしてみる。打九ワン

一二三⑦⑨12378東東北 

次巡 ツモ北

一二三⑦⑨12378東東北北

北に勢いを感じるし、なおかつ、9ソウ引きの形も残したい。

この席は、国士無双の想いの残った席。

(そんなオカルトありえません) 

であれば、そこを粋に感じて組みたい。

打⑦

次巡、待望のラス9ソウツモ 打⑨

一二三123789東東北北 

チャンタドラ1

これをダマ。

どいんちゃんの国士もダマで北待ちだった。

ダマに受けて、北で和了すれば、きっと流れは来る。

しかも、前任者 のぶんもまとめてくる。

(そんなオカルトありえません) 

ふわり、と北が切られる。

何の気ないチャンタ、だと思われる手役ではあれど、

ひろりん師匠の弟子ふたり分の想いの籠った和了だった、と

やり遂げた感に満ち溢れていた。

自分でいうのもなんだけど、めっちゃよく打てた、と思った。

楽をせず、散らかさずに打てたな、と。

ああ、この東1局で物語が終わればよかったのに・・・ 

・・・・・・・・・・・・

ここで、全エネルギーを使い果たしてしまった。

瞬間の気のゆるみでいろいろな大事なことを忘却してしまった。

最初のテーマだった、散らかさない、とか、楽をしない、

とか、そういうのと真逆の打牌を連発してしまった。 

やっぱり、感性の麻雀っていうのは

自分には、なかなか厳しいものがあるな、と

あらためて痛感するばかり、の新年でした。 

 我慢した分、楽をしたくなり、

丁寧に打っていた分、散らかしたくなる、

そういったよく理解できない性質が自分にはあるようだ。

島風.jpg 

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