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残念な麻雀 [麻雀黙示録]

全員の捨て牌が、なんとなくかぶっていたから、トイツ場を意識した。

先制リーチが2軒ささって、

7ソウを引いて以下のかたち。ドラは9ソウ南家。

一二三⑧⑧334677889

ここから、追いかけリーチを打つ。

ソーズは全て安全で場に安い。

3ソウを切ってリーチ、と平素ならそうするだろう。

けれど、2ソウが4枚すでに場にツモ切りされていて、5ソウも1枚見えている。

なんとなく嫌な感じだった。

迷わず、ピンフの形を取りにくいペン5ソウ。

7ソウが重なってのテンパイや、なんとなくトイツが強そうにみえる。

場の状況から、逡巡する。

⑧は他家にささりそうなのだけれど、でもなんとなくツモ和了もできそうだ。

トイツ場だ、ということと、⑧で他家にささってしまっては、

この2つが、私にシャボ待ちのリーチを選択させた。

一二三⑧⑧33677889

形のないリーチ。

ダイレクトに色を取りに行くリーチ。

結果、2ソウを2枚、5ソウを1枚ツモ切っている上家から、

5ソウがもう一回打ち出された。

一二三⑧⑧34677889

まっすぐピンフに受けていれば、一発での和了。

よく考えてみたら、トイツが強い場なのだから、

場に切り出されている牌が、再び切り出される可能性が高い。

場に1枚も出ていない3ソウや⑧のシャボよりも

場に5枚見えている25ソウのスジのほうが、はるかに優秀な待ちではないか?

最近、信じられないような痛恨のミス、がとにかく多い。

ピンフという形を捨てて、トイツ場という形も軽視して

和了を拾うことに果たしてどれだけの意味があるのだろうか?

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4人で打つ麻雀 [麻雀黙示録]

なんとなく、乗れてはいない、そんな対局。

ぼんやりしている時間が多くて、

手出しツモ切りの確認も大雑把になる。

その理由は、ペース配分を考えているから。

老いを感じざるを得ない。

半荘1回と、半荘8回では、その消費をするエネルギーが異なる。

東2局 

親番

ぼんやりしていると、トイメンの雀ゴロ、ごろたんが

字牌を2つほど仕掛けている。

ドラの絡んでいない仕掛け。

どの字牌だったか?まではおぼえてはいない。

北と西だった、と思う。

なんだか記憶が不確かである。

二二六七⑤⑥⑦23467中

ごろたんの仕掛けでカン⑥が入り、この13枚。

場には、八ワンが3枚。五ワンが1枚。

五ワンをツモる。

五ワンが入ったときには、中を切り飛ばしてリーチを打つつもりでいた。

中は、ごろたんに厳しい牌だ。

けれど、和了されないんじゃないかな?と漠然と感じていた。

もちろん根拠はない。

それが自分の願望なのかどうかはわからない。

けれど、そのように感じている、ということがまずひとつ。

場の状況を考える。

東2局。点棒状況は平たく、誰にでもチャンスがある感じ。

上家のせんぱいと、下家のとりとんは、

ごろたんの仕掛けに対して、「打てない牌を抱えて苦しんでいる」ようだ。

散家である彼らが、ごろたんの仕掛けに対して

甘い牌を切ることはできないだろうから、戦うとしたなら、

戦うことができるのは、ごろたんのトイメンでなおかつ親番である

わたくしをおいて、他はない。

もし、仮に私が「この戦い敗れた」として、ごろたんに点棒が集まったとしても、

ごろたんの上家は、とりとん。下家はせんぱい。

トップ目に対して、それを苦しめる打牌ができないメンツではない。

それは、私が6000オールを和了したりできた場合も同様だ。

上家のせんぱいと、下家のとりとんに挟撃されるだろう。

トップ目も苦しい。それが正しい麻雀だ、と思う。

それが、できないメンツではない。信頼をしてよい。

この中切りが最悪な結果を招いても、

それでこの半荘が壊れるような、そんなレベルのメンツではない。

ここを信頼できないのであれば、それは4人で打つ麻雀ではない。

このまま、中を抱えておりることはたやすい。

けれど、中が和了される可能性って、どれくらいあるのだろうか?

せんぱいや、とりとんが抱えている可能性もある。

中は雀頭になっている可能性もある。

アンコウになっている可能性もある。

見えないものを恐れて、自分の最大の攻撃を

躊躇するほどおろかなことはない。

見えないものに対して目を閉じてはいけない。

恐れて、何を恐れているのか?を考えて、

そのうえで、その恐怖を押し返しすのだ。

もし、その結果、最悪の結果を迎えたとしても

その最悪の結果を抱きしめて責任をとればよいだけだ。

点棒的に落ちても、まだまだ、チャンスはある。

二二五六七⑤⑥⑦23467中

この私のテンパイも、他家の麻雀の力も、

十分に私が「戦いのステージにあがること」の理由となる。

親番である私がやるべき仕事。

それは、戦うことだ。

振り込めば、私の点数が減るだけだし、

他家はどのみちオリていても、1500点のノーテン料を支払う未来なのだから

それが、2000点をかぶろうが、3000点をかぶろうが、

それは、賢明なオリの結果の甘受すべき失点だ。

私が散家なら、中は切らない。

場が南場でも中は切らない。

メンツがこのレベルに達していなければ、中は切らない。

この条件下で、私のしなければならないことは、戦うことだ。

大学を卒業した日に打った「学生時代最後の麻雀の最後の半荘」に、

タンピン三色567をテンパッて、東を切って

3200点を打ちこんだ20年前のことを

「ああ、あのときも567の三色だったなあ」と思い出しながら、

大丈夫、役満じゃないから、と、中を

ポン!

ごろたんの声。

「ポンですんだなら、私の勝ちだな!」

そう思ったのだけれど、ごろたんに発をツモラレテ

3000.6000の和了。

けれど、そのあとは、予想通り、

せんぱいと、とりとんの「よい麻雀」で

半荘そのものが、お粗末なものになることはなかった。

100回同じメンツで同じ状況なら、中は切ります。

相手がホンイツトイトイならなおのこと、

リーチを打てば、手の内に受ける牌を抱えることは困難なのだから。

手牌4枚からの高得点のテンパイを受ける力を持っている人間はそんなにいない。

テンパイと安全牌はないことを理由に攻めてくるだけだ。

その状況に打ち込める親の高得点テンパイを壊す理由など

やはり、現地点では私はみつけることができない。

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賭けマージャン [麻雀黙示録]

 「最近、フリーばかりだから、麻雀がブレまくっている。」

ますたぴょんが、寂しそうにつぶやく。

そばにいる時間が長かったこともあり、

その言葉を深く、重く受け止める。

勝てばいい麻雀で、刀が錆付いている、といったところだろうか?

ますたぴょんは少々のことでは負けない。

ノーレートであれば、なおのことだ。

お金の影響のないところでこそ、

一切の妥協がない、というますたぴょんの麻雀は大好きだ。

賭ければ、お金で済む。

そのお金の影響のないところの麻雀を打ちたい。

けれど、

賭け麻雀ばかりやっていると、勝つための努力が主となり、

勝てば、その先がなくなることが多い。

一昔前の私なんかは、勝てばいい、の典型だ。

「賭けようが賭けまいが同じ麻雀じゃろうが?」

ひろりん師匠は私にそう仰る。

「同じように打てないなら、常に1000点500円のレートのつもりで打ちなさい。」

ひろりん師匠は重ねてそう仰る。

「どうして同じように打てないのか?」

理由は簡単。

お金が大好きだからだ。

正確にいうと、負けて金を払うことが大嫌いなのだ。

もう、賭け麻雀を止めてずいぶんの時間が流れるけれど

その最大の理由は、

「麻雀を大切にしたい」という祈りのような思い。

大切にできていないクソみたいな自分を知っているから、

だから、

「お金によって、自分の大事にしているものが壊れることが我慢できない」のだ。

そういう考えが浮かぶことが、お金の支配下にあるなによりの証なのだけれど。

賭ければ、あのときのどす黒さが首をもたげ、

麻雀の基本的な部分は変わらないだろうけれど、

ノーレートで打っているよりは、感覚的な麻雀になることは、容易に予想がつく。

大会で、商品が素晴しいかったりすると、そういう感覚が首をもたげる。

このリーチはマンズ以外全て押す、とか、そういう麻雀になる。

私の最近のここ数年の麻雀は、

経験上、打てる牌ではあるけれど、説明はつかない牌、

そういう牌を打たないで我慢をする。

打てる理由が見つからない牌は打たない。

自分は自分の目的とする麻雀と繋がっていたいから、

この自分の麻雀を絶対に変えたくない。

もし、違う牌を打ったのであれば、

私はノーレート麻雀をやめて、あちら側に吸い込まれてしまう。

というか、ここまでの努力が全て意味を失う、

すなわち、どうでもよくなってしまうだろう、と思う。

「全ての打牌に意味を持たせて、麻雀を大切に」

それを望むのは、きっと自分の麻雀がそうではないからだ。

そのために、万が一の牌を切らずに

「全ての打牌に意味を持たせて、麻雀を大切に、同卓者を大切に」

そうすれば、麻雀に大切にされ、同卓者に大切にされると。

そういう麻雀を重ねて、それでも、悪くはない成績を残せるようになった。

それは、純粋に賭けることなく麻雀を覚えようとしている、新しい世代に魅力を感じたからだ。

彼らは、賭かっていないのに、麻雀としっかりと向かい合っている。

そういう麻雀に対する姿勢は尊く美しいとさえ思う。

そして、結果ではなく自身の麻雀をしっかり慮り、深化してくださると、

私は、それを本気で信じている。

迷うことがあり、見えなくなることがあっても、

彼らの麻雀に対する姿勢は、間違いなく本物だと全く疑わないからだ。

彼等に較べれば

私は、ノーレートの麻雀と向かい合っているふりをしているまがい物だ。

私がつかさ会を大切におもう理由のほとんどは、

「彼らの麻雀に対する姿勢」だ。

麻雀は彼らのような「純粋な麻雀への造詣」の意思を持って紡ぐものであり、

賭けたら、どうだ、こうだ、なんて、きっともう論外なのだ、と思う。

私は、結局のところ

賭け麻雀から自分の麻雀を守りたくて、必死に一打の理由を考えている。

ノーレートであることに逃げている。

「押せるから、押せよ。」

そんなささやきが聞こえない日はない。

その都度、

「そんな理由で牌を切って、勝っても意味がない。」

と、自分を諌める。

大会なんかに出ると、脳内は負の思考しかない。

「ならば、大会なんか、でなければよかったじゃないか?」

「でも、にんじんぶらさげられても、いつもと同じ麻雀を打てるかどうか確認したい。」

「これを、切れば勝つことはできるのに。」

「こんなことを考えている地点で、自分には麻雀をどうこういう資格はないな。」

「はやく帰りたい。」

「でも、出る以上は、最善を尽くさねば。」

「最善って?勝つこと?」

たくさんの想念が悪夢のように脳裏をよぎる。

私にしてみれば、ほぼ地獄の苦しみだ。

これは、賭け麻雀を日常とできるだけの力が私になかったから。

ますたぴょんは、大会でも同じ麻雀を打つ。

ひろりん師匠も、いつも同じだ。

私もいずれそうなるのだろうと思っていたけれど、そんな器ではなかった。

それに憧れている私なのに。

私は、賭かった瞬間に、麻雀での我慢がなくなる。

きっと、この我慢をしてきたと思う、10数年が失われる。

賭け麻雀なんて、やらなければよかった、などと、ブザマに

過去の息巻いてた時代を悔やむ日まである。

麻雀の本当を知るものは、きっと、

どんなときでも、心を揺らすことはない。

条件によって、スタイルを変えることはあっても、心は変わらない。

揺れない心。

それは、「麻雀の本当」に一番近いところに有ると思う。

何度も間違って、嫌になって、それでも

もしかしたなら自分も辿り着けるのではないか?と思うこともあるし、

次世代の彼らには、そこに辿り着いて欲しいと思う。

もしかしたなら、「他人を大切に」なんて、戯言なのかも知れない。

けれど、現在はまだ、それを信じていたいのだ。

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ちびっこ大三元 [麻雀黙示録]

下家のコイケヤポテトチップス先生が、

私の切った④を奪い去った。

オーラス。

ダンラスの北家のわたくし。

全員がトップ争いに興じるこの終焉のときに

下家親番の仕掛けに対して、牌を絞る、それが私の仕事。

だって、みんな30000ちょいの点棒だから、

振込みあってくれれば、それはそれでいいし、

(つかさ会、は、浮きの状態で順位点がつきます。

ひとり沈みより、二人沈みのほうが、ダメージは少ないのれす。)

自分の失点をおさえるには、親へのケア。

でも、この親番の仕掛け、どうみても1500点だよね?

牌抑える意味なくない?

と思いながらの、9巡目だったかしら?

三五七3388白白発発中中

大三元の子供たちがやってきた。

で、色気づいて、2軒のリーチに

一番とおりそうな3ソウのといつ落としが

カン3ソウにささった。

この巡目で、この形。

どう考えたって間に合っていない。

大三元も、そうそう出会える手役ではない。

三五七3388白白発発中中

場に一枚飛んでいる中を抜けば、受けることはできるが

それは、受ける、というよりは、海底深く沈んでしまうイメージ。

三元牌をはずせば、この手は死ぬ。

考えていたことは、なぜ、こんな大三元のたまごが集まったか?

どうするべきなのか?だ。

しかも、三元牌はまだ、たくさん牌山に生きていそうだし。

正直、3ソウが通ると思っていたので、大三元に向かうつもりだった。

帰宅して、考えて、中切りかな、ともおもったけれど、

ここは、大三元でいい。

いつか、S場くんが、

三三四四六六七白白発発中中

ここから、大三元にむかっていたシーンがあって

 「そんなの、ぶっちゃげありえない」

と思った時代があるのだけれど、すこし

その気持ちもわかる、そんな気がした。

なんというか、三元牌には、いつもトキメキがたくさん。

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たまたまうまくいったやつ! [麻雀黙示録]

 なかニャンが、ねこキャラなのかどうか?

それを確認しないわけにはいかず・・・

まるで、バケツをひっくり返したような雨の中、

かふぃを飲みにゆく。

その東一局。西家。8巡目 ドラが⑧

南家から、リーチが刺さっている。

③⑤⑥⑧⑨発発    チー⑨⑧⑦ チー①②③

何故、こんな仕掛けになってしまったのか?

理由はドラが1枚とイッツー目があったから。

で、ドラが2枚になったから、そのまま染めたらこんな7枚に。

④引いたら、⑨を切る?んー?どうかな?

でも、ここで⑨を切るということは、

すなわち、⑦がないイコール自分の和了牌がない、

ということ。

⑦は、場に1枚。ドラ表示牌に1枚。

⑦はまだ居る、と考えるほうがおかしい。

なのに、⑦を求める聴牌を追う、ということは矛盾している。

4ソウひいた。・・

③⑤⑥⑧⑨4発発    チー⑨⑧⑦ チー①②③

打発

⑧引いた。

打発

③⑤⑥⑧⑧⑨4    チー⑨⑧⑦ チー①②③

4ソウ通った。ツモ②

②③⑤⑥⑧⑧⑨    チー⑨⑧⑦ チー①②③

これ④引いたら、⑦なくても和了できるんじゃね?

で、④を引く。打⑨

②③④⑤⑥⑧⑧  チー⑨⑧⑦ チー①②③

ピンズ①②④⑤⑦は、リーチ者の現物。

下家から、④が出て16000.

う、うまくいきすぎ。

こういう日は、何をやってもうまくゆく。

うまくいかなくなったなら、らすはん!

60000点オーバーのトップが続いていた、南場の

親番、58000点持ち。

二三四四四六六七⑥⑧888

このシャンテンから、リーチ者の四ワンをポン。

これは、仕掛けるべきではない、ツモに尋ねる局面だった、と後悔。

このあと、牌勢が悪くなった気がする。

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手役よりも大切なもの [麻雀黙示録]

 雀ゴロさんとかとのフリー対局は

基本、マイカテゴリー「麻雀黙示録」で、記事を掲載してゆきます。

何が、黙示録なのかにゃ?と問われると

何も黙示録ではないのだけれど、

自分としては、「素で打てる対局」なので、チョー楽しい。

基本どんな対局でも真剣に臨んでいるのだけれど、

フリー対局は、「牌の意味」をまるで文学のように

深く楽しむことができるから、その一体感が心地よい。

「勝ち負けは、どうでもいい!」と強く感じて、そして

その先にある、「だからこそ勝たねばならない、」につながる感覚。

小さい小理屈を抜きにして、夢中になれる感覚。

 タンピン三色がみえる3面待ちが、愚形カンチャンに負けることだってある。

どちらの牌が先に寝ているか?だけの話・

要は、どちらが間に合っているのか?

という、それだけのことなのだ。

和了の形のよさ、とか、気持ちのいい展開を求めずに

そういうことを願う気持ちを我慢して

ただ、「精一杯打つ」こと。

私の精一杯は、局面を考えることだ。

手組も上手ではないし、相手の待ち牌も読めない。

そんな自分の唯一の武器は、相手が何を考えているのか?

相手が何を考えている可能性が高いのか?を 推察することだ。

過去の自分の全ての対局、それらの総括が

いつも、現在目の前にある、この対局なのだ。

過去の対局者に恥じることのない内容にしなければならない。

42000点を持っても南1局。

雀ゴロさんの親番。

ここを乗り切るために、もう一度整理する。

●ジャンゴロさんは、

①親番では和了に向かう。

②形がよければ鳴かない。(1鳴きテンパイは少ない。)

③最終ターツ選択時(リャンシャンテン)に、逡巡する。

④イーシャンテン時に、自分の牌を探す。(ことがある)

⑤愚形リーチは少ない。リーチの効果をよく知っている。

⑥相手の待ちを、色、で読んでいる。

⑦振り込みを恐れない。

⑦和了トップなどの条件下では、みずから決着をつけるタイプ。

→自分の勝ちスタイルを持っているので、迷いがない。

すなわち、この最期の親番が5割増で攻撃してくる、ということ。

点棒を失っても構わないないから、カウンターを打つ。

そのつもりで、組んだ配牌が、5巡目に以下の形。

二二七九⑤⑥⑦123567北

ドラ7ソウ。

六ワンや五ワンを引けば、

二二六七⑤⑥⑦123567北

二二五七⑤⑥⑦123567北

すげえ、いけそうな形になる。

けれど、私がこの聴牌となるちょいまえ、

雀ゴロさんが、六ワンをツモ切っている。

ハワンが不要となっている可能性が高い。

このオーラス、雀ゴロさんは、まっこうくじらさんになる。

 八ワンが不要であれば、私がリーチを打っていたとしても

打ち出してくる。

だって、雀ゴロさんの和了に不要な牌だもの。

二二七九⑤⑥⑦123567

リーチを打つ。

三色はいらない。

この局面で雀ゴロさんが、不要としている部分で

聴牌を組めているという事実が優先する。

裏目と思われる六ワンや五ワンの後引きツモ切りも

八ワンを打ち取るために役立ってくれる。

リーチを打ち、雀ゴロさんから八ワンをいただき

裏ドラの力を借りて5200点の加点。

南2局へと、局を進める。

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ドラ単騎リーチ [麻雀黙示録]

 こういう対局は、いわゆる「お勉強対局」ではないので、

余計な講釈や、捨て牌を撮影したり、などという行為は御法度だ。

真剣勝負である以上、和了してもいない裏ドラをめくったり

牌山を開けたりなどという行為は、慎むべきだ。

そういう「楽しい麻雀」や「お勉強麻雀」ではないのだから。

この対局を終えて一週間。

頭の中の記憶を辿って記事にしている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

7700点の和了を加算した。

東3局、1本場。親番 39700点持ち。

ドラ9ソウ。

ツモが走らず、ドラの9ソウも持たないけれど、

牽制の意味を込めてチャンタ仕掛けを。

一二三九九⑧⑨  チー789 チー③①②

またしても、シミケンがリーチ。

「ノータイム」リーチを打つ。

今回のリーチは「ままよ!」リーチではない。

リーチを打つに足りうる理由が、シミケンのテンパイにはある。

シミケンがこういうリーチを打つ時に、その待ち牌は

①牌山にいそうな牌。しかも多面待ち。

 フリテンリーチもひょっとしたならあるかも!

(全員の河に捨てられていない牌)

②他家がシラフでは振り込んでくれそうにない牌。

(ドラとか?)

となる。

シミケンのリーチに「①の要件」多面待ちを思わせる

牌が次々に切れてゆく。

これは、あれだな、ドラの9ソウ単騎だな。

これは、間違いない。

ドラの9ソウを引き込んだ他の牌であれば、

シミケンはリーチは打たない。

親番の上家である北家。

親に甘い牌を切るわけにはいかない、と考えているわけだから、

単騎待ちであれば、ごろごろと迷わないはずはないし、

リーチを打つ、という選択肢とはなりえない、と思う。

わたしのこのテンパイ

一二三九九⑧⑨  チー789 チー③①②

2900点。

だが、シミケンのリーチ棒と合わせて

和了叶えば、3900点の得点となる。

シミケンのリーチには、理由がある。

特に先制リーチを打つ場合には、彼には

彼が決して後悔をしない強い理由が存在している。

シミケンのリーチには、以下の思いが込められていると

私は推察する。

①ドラの9ソウは止めましたよ!他家のみなさん!  5%

②ああ、麻雀ばっか打って生活できないかなあ・・・ 30%

③さっき振り込んだ7700点返しやがれ!ツモれ! 30%

④親を苦しめてやるぜ!くっくっくっ        35%

とまあ、こんな感じで、

親番である私をリーチで苦しめたい、と思っている。

リーチで、オロそうとしている、のではないか?

であれば、私は地球が砕け散ってもおりない。

相手が望む「不自由」に苦しめられることはノーサンキュー!。

風下には絶対に立たない。

それなら、読みを違えて振り込んだほうが、100倍もマシだ。

多面待ちの可能性の残るスジ牌が枯れてゆく。

これは、間違いないな。

9ソウ以外の牌を全て叩き切る。

もし、このシミケンのリーチが9ソウ単騎でなければ、

私の人読み麻雀には何の価値もない。

多面待ちの可能性の残るスジ牌が全て枯れる。

流局時、シミケンの待ち牌が9ソウであることを確認。

私が9ソウ待ちで、苦しまないテンパイであったこともあり、

俄然、この半荘を取れそうな気がしてきた。

ちなみに、ドラが9ソウで、ドラの9ソウ待ちになる

チャンタ仕掛け、など、私は選択しない。

なぜ、わざわざそんな和了困難な牌にしなければならないのか?

9ソウをトイツで擁していれば、それを雀頭として

ほかの部分で和了を求める。

私のチャンタ和了や混一色和了の

9割は、和了の最終形にドラを求めない。

シミケンは、ドラを叩き切って

リーチを打っても構わないのではないか?。

私の麻雀をそう推察して、切り出すドラの9ソウは

暴牌とは成り得ないのに。

きっと、親のチャンタ仕掛けにドラを切る、

という行為が、シミケンの求める麻雀とは符号しなかったのだろう。

気持ちは、わかるし、それは価値のあることだと思う。

仙人さんや、センパイ、あとK泉くんあたりは、

この私の仕掛けにノータイムで、ドラの9ソウを切って

リーチを打ってくる、と思う。

その瞬間、私は、和了を放棄して受けに回るだろう。

チャンタ牽制の私にとって、ドラを切って押し返されることは、

私が想定する未来の中で、最大の恐怖でしかない。

そのまま、局面は、南場へと進行してゆく。

この勝負局

ドラスジとか、そういうときに、「ままよ!」感たっぷりなリーチをお打ちになる。

六七七八九②②③⑤⑥468

わたしの手牌。ここにツモ七ワン 打8ソウ(安全そう)

六七七七八九②②③⑤⑥46

まず、リーチに対して一発目に掴んだ牌は危ない(オカルト)。

次の巡目に、また七ワンをツモる。

ソーズ押せそう!打6ソウ。

六七七七七八九②②③⑤⑥4

五ワンをツモる。 打4ソウ。

五六七七七七八九②②③⑤⑥

ツモ六ワン、打九ワン

五六六七七七七八②②③⑤⑥

シミケンの待ちが、マンズだと仮定をしよう。

七ワンはそのテンパイ形に使用できないのだから、

シミケンの手にマンズが組み込まれていてそこが待ちになっている、としたなら、

四五、もしくは、五六、のターツの可能性がベラボーに高い。

シミケンの

①牌山にいそうな気がしないでもない牌。

(全員の河に捨てられていない牌)

②他家がシラフでは振り込んでくれそうにない牌。

(ドラとか?)

という、性質を加味して検証すると、もうこれは、

シミケンのリーチは四七ワン待ち、という解でよいのではないか?

まあ、待ち読みなど、当たるものではないし、そういう一点読みは私にはできない。

けれど、こんなに七ワンが集合している様子を考えてみると

その読みにのせてみることも悪くはない。

そして、シミケンのリーチがなければ、ソーズの468の部分に

手を付けることはできなくて、

五六七七八九②②③⑤⑥468

こんなイーシャンテンなままだった可能性が高い。

五六六七七七七八②②③⑤⑥

シミケンのリーチのおかげでここまできた。

だから、ここはテンパイ即リーチだ。

ツモ②

打③ 即リーチ。

五六六七七七七八②②②⑤⑥

四ワンのドラを掴んだら、と考えなくはなかった。

けれど、反撃のチャンスはその刹那にかかっている。

もし、このテンパイをドラ引きを考えてダマに受けたとして、

(もちろんそれでもよいのだけれど)

④⑦が一発でうちだされたり、ツモったりしてしまったならば、

それはもう失点と同じだ。と思う。

東場だ。ここを反撃のチャンスと判断したなら、迷わない。

シミケンから⑦を一発で和了させていただき、

さらに加点を望む一本場へとサイコロを振る。

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その日最後の半荘へ [麻雀黙示録]

 オーラスに1000点を組むことは、恥ずかしい。

着順が変わらない和了が恥ずかしい。

という考えは、間違っている。

精一杯組んだテンパイなら、なぜそのまま和了を望まないのか?

私は、オーラス着順の変わらない和了を組むことが嫌だから

南一局から、オーラスに向けて失点に気をつける。

それはもう、気をつけますよ。

南場で親番もないのに、打ち合って

オーラスはねまんが必要だ~、となるのは、どうなの?と思う。

オーラスを想定して、牌を組むこと。

その努力なしに、オーラスだけ頑張る、親番だけ頑張る!

というのは、感覚がずれている。

オーラス頑張りたい!親番頑張りたいなら、まだ理解できるけれど。

でもそれなら、いつも、頑張れ、と言いたい。

オーラス、はねまん必要になるくらいなら、

その前局に必死で2000点を和了するべきではないのか?

また、ドラを鳴かせたから、責任を取る。

という考えもまったく理解ができない。

覚悟を持って切り出したドラを欲しがる輩がいたとして

なぜ、責任を取らなければならない?

ドラを鳴かれたことを理由に切り出してよい牌など存在しない。

和了しないことに特別な意味が存在したり、

また、見逃すことに特別な意味が存在する、のだとしたなら、

そういう局面となっていることが問題なのだ。

::::::::::::::::::::::

ひさしぶりに感覚が冴えている。

あと半荘1回くらいなら、全ての状況を考えることができる。

できなくても、努力するくらいのことは、できそうだ。

幸い手牌が入ってきているので、そこそこよい戦いができそうだ。

小さな和了と、テンパイ料を重ね、すこしまとまった点棒を持って、

東3局、親番 32000点持ち。

ドラ四ワン。

上家で北家のシミケンが「ままよ!」リーチを打つ。

「ままよ!」リーチではないかも知れないが、

私がそう感じている地点で、「ままよ!」リーチとの判断となるのだ。

ままよ!リーチとは、えーい!ままよ!リーチのこと。

感情を乗せたむりやり決意したリーチのことだ。

シミケンがこういうリーチを打つ時に、その待ち牌は

①牌山にいそうな気がしないでもない牌。

(全員の河に捨てられていない牌)

②他家がシラフでは振り込んでくれそうにない牌。

(ドラとか?)

こういうちょっと矛盾している、と思えなくもない牌。

ドラスジとか、そういうときに、「ままよ!」感たっぷりなリーチをお打ちになる。

六七七八九②②③⑤⑥468

わたしの手牌。ここにツモ七ワン 打8ソウ(安全そう)

六七七七八九②②③⑤⑥46

まず、リーチに対して一発目に掴んだ牌は危ない(オカルト)。

次の巡目に、また七ワンをツモる。

ソーズ押せそう!打6ソウ。

六七七七七八九②②③⑤⑥4

五ワンをツモる。 打4ソウ。

五六七七七七八九②②③⑤⑥

ツモ六ワン、打九ワン

五六六七七七七八②②③⑤⑥

シミケンの待ちが、マンズだと仮定をしよう。

七ワンはそのテンパイ形に使用できないのだから、

シミケンの手にマンズが組み込まれていてそこが待ちになっている、

としたなら、どういう形になるのか?

四五、もしくは、五六、のターツの可能性がベラボーに高い。

シミケンの

①牌山にいそうな気がしないでもない牌。

(全員の河に捨てられていない牌)

②他家がシラフでは振り込んでくれそうにない牌。

(ドラとか?)

という、性質を加味して検証すると、もうこれは、

シミケンのリーチは四七ワン待ち、という解でよいのではないか?

まあ、待ち読みなど、当たるものではないし、そういう一点読みは私にはできない。

けれど、こんなに七ワンが集合している様子を考えてみると

その読みにのせてみることも悪くはない。

そして、シミケンのリーチがなければ、ソーズの468の部分に

手を付けることはできなくて、

五六七七八九②②③⑤⑥468

こんなイーシャンテンなままだった可能性が高い。

五六六七七七七八②②③⑤⑥

シミケンのリーチのおかげでここまできた。

だから、ここはテンパイ即リーチだ。

ツモ②

打③ 即リーチ。

五六六七七七七八②②②⑤⑥

四ワンのドラを掴んだら、と考えなくはなかった。

けれど、反撃のチャンスはその刹那にかかっている。

もし、このテンパイをドラ引きを考えてダマに受けたとして、

(もちろんそれでもよいのだけれど)

④⑦が一発でうちだされたり、ツモったりしてしまったならば、

それはもう失点と同じだ。と思う。

東場だ。ここを反撃のチャンスと判断したなら、迷わない。

シミケンから⑦を一発で和了させていただき、

さらに加点を望む一本場へとサイコロを振る。

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決着に向けて [麻雀黙示録]

●ジャンゴロさんは、

①親番では和了に向かう。

②形がよければ鳴かない。(1鳴きテンパイは少ない。)

③最終ターツ選択時(リャンシャンテン)に、逡巡する。

④イーシャンテン時に、自分の牌を探す。(ことがある)

⑤愚形リーチは少ない。リーチの効果をよく知っている。

⑥相手の待ちを、色、で読んでいる。

⑦和了トップなどの条件下では、みずから決着をつけるタイプ。

➇放銃を恐れない。

→自分の勝ちスタイルを持っているので、迷いがない。

特定の局面ではまっこう勝負を選ぶ、

まっこうくじらさんなのだ!

①②⑤⑤⑧⑧東東西西発発中

西を仕掛けたあと、青年が東を続けざまに切り

ジャンゴロさんは、そのまま発を切ってきた。

ほぼ暴牌だが、そこには、戦う意思がある。暴牌とはなりえない。

その発で和了することができない私がしょぼいのだ。

ジャンゴロさんは、テンパイ、もしくは、超良型のイーシャンテンだ。

私の手組は、心中可能な

⑤⑤⑧⑧ ポン発発発 ポン東東東 ポン西西西

6000オールのテンパイ。

ほんの少しジャンゴロさんが小考。

手の内から無スジの2ソウ4ソウが打ちだされる。

カンチャンのターツが手の内から打ちだされた地点で良型のテンパイ。

リーチを選択しない地点で、私の河に捨てられている牌が、

ジャンゴロさんの和了牌だろう。

ジャンゴロさんに、放銃を避けるためのダマ選択はない。

ダマ選択の理由は、ダマのほうが格段に和了しやすいからだ。

シミケンさんの打牌が、完全に私警戒のものとなっている。

ああ、これは、やばい、と思った。

私の仕掛けが濃すぎて、注目を集めすぎて、

シミケンさんの思考が、自分の打牌で決着をつけること、はだめ。

振り込みはだめ!その基本思考が、

「親への振込みはだめ!」オンリーにシフトしているのではないか?

確かに、この状況でジャンゴロさんへ振り込んでも痛くはないかもしれない。

けれど、それ以外に考えるべきことがあるだろう、と思う。

3着争いもよいし、現状のテンパイを維持することだって

大切な目的だ、と私は思う。

こういう「オーラスのトップ争いを邪魔しない」という思考は

私には、よくわからない。

それこそ、麻雀に対する冒涜ではないのだろうか?

目的はトップをとることだけではない。

その一打一打の積み重ねに価値がある。

なぜ、トップ目争いの邪魔をしない、ことを理由に

自分の手牌に見切りをつけてしまうのか、が理解できない。

私なら、精一杯の手組みで、当たり前に和了に向かう。

だって、視線が私の河から離れないのだもの。

私の仕掛けが濃すぎて、ジャンゴロさんへの警戒が薄くなっている。

ジャンゴロさんが手出しの五ワン。

これは、三四五五六に二を引いて二三四五六への変化。

もしくは、四五五六七に、八を、四五六七八への変化。

この可能性が高い。

マンズの三四六七。すべて、私の河に並んでいる。

ああ、落ちる。ここまできて3対1になってしまった。

場を制圧しすぎた。あまりにも強く仕掛け過ぎた。

そう思った刹那、シミケンさんが七ワンをツモ切り、ジャンゴロさんの和了。

私の高得点を払っての差し込み狙いの可能性も高い。

ノー和了のまま終局。

けれど、死力を尽くした感はある。

まだ、もうひと半荘打てる。

私は、久しく忘れてしまっていた、

果てしなく澄み切った気持ちで、サイコロを振る。

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場を制圧するために。 [麻雀黙示録]

 オーラス1本場

点棒状況、

ジャンゴロ 39000点

シミケン  13000点

わたくし  24000点

青年    25000点

積み棒あり、供託リーチ棒あり。

4000オールでOK.

ジャンゴロさんがリーチ棒を出せば、

3200オールでもオケイ。

一二六①②⑤⑧⑨4東南西北発

この配牌が、化けた。

①②⑤⑤⑧⑧東東西西発発中

有効牌しかツモって来ない。

けれど、私の手牌が、この形になった地点で、

ジャンゴロさんから、ターツを探している素振りを拾えた。

やばい。

字牌の高いこの私の河に対して

字牌を切りだしてきたのであれば、

それは、緊急事態だ。

迎撃をしなければならない。

4000オールで、トップがかわる、という状況は

ジャンゴロさんも理解されているはず。

すなわち、前局とはすでに状況が異なるのだ。

ジャンゴロさんから、字牌が切られたなら、現在の私の手格好の

シャンテンスウはイーシャンテンから、サンシャンテンにおちるけれども、ポンだ。

これ以上前に出させない、ということよりも、

おそらく、ジャンゴロさんは降着覚悟ですべての牌を切りだしてくる。

止めるなら全部止めるし、切るならすべて切る、というタイプだ。

ジャンゴロさんの和了に向かう意思を使って、私は和了したい。

それは、この数局でほぼ確信に近い私の人読み。

また、上家のシミケンはぬるい牌は打たないのだろうけれど、

トイトイ仕掛けには、めっぽう弱い。

また、青年も、派手な仕掛けに対しては

自分の手組に光がなければ、受けるはずだ。

①②⑤⑤⑧⑧東東西西発発中

私のこの手牌に①を引けば、

テンパイとする待ち牌を②にするか、中にするか迷うし

②を引けば、①にするか、中にするか、迷うし

中を引けば、①にするか②にするか、迷う。

心中できないテンパイであれば、もちろんリーチも打てない。

そのことが嫌だった。

また、自力のツモのみで、和了できるとは、とても思えない。

他家の打牌の力を借りなければ、届かない。

そう感じていることが、目先のイーシャンテンより重かった。

しかも、わたしの河はチートイにしか見えない。

そう思うと、どんどん、そう思えてくるから不思議だ。

ここは、トイトイだ。

その選択肢も持たなければならない。

本来ならあり得ない選択肢だ。

けれど、対局者の思考パターンを読むと、これが最善手。

メンホンチートイでは、場を制圧できない。

ピンズは⑥が2枚ツモ切りされたり、と 望外に場に安い。

もし、ジャンゴロさんから字牌が切られたなら、仕掛けよう。

麻雀の理屈には、あわない選択肢。

けれど、この読みが外れたのであれば、私にはもう武器がない。

論理的な利よりも、人を読む。

その結果であれば、どんなものであっても受け入れよう。

案の定、ジャンゴロさんから、西が切りだされる。

ノータイムで仕掛ける。

忘れかけていた闘志が、私の中に湧き上がってくる様子を感じる。

ジャンゴロさんは、全部打ちだしてくる。

それでこそのオーラスだ。

最終決戦としゃれこもぅじゃないか?

この仕掛けに抑えつけられる麻雀ではない、はずだ。

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