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F岡先生 [閑話休題]

 その藤岡先生の麻雀は、好きだ。


麻雀についても、全てが自分の師であることには


違いがないのだけれど


私は、藤岡先生の麻雀に対するストイックさ、が好きなのだ。


「麻雀が好きだからAリーガーでいる。」


「麻雀が好きだから、いつも全力投球。」


そして、牌を大切にされている。


②②③⑤123456789


ここから、ノータイムでリーチを打った


私に、手牌の成長を止めるリーチでは?


と教えてくださった。


奇数はさみカンチャンは即リーチ。


それを心かけていた私に


「まあまあ、それはエゴだよ。


牌の気持ちになってごらん!?」


と諭してくださっているように。


以来、その言葉への感謝を込めて


これまでよりも、牌の気持ちを考えて打っている。


 


:::::::::::::::::::::::::::::::::::::


過去記事↓


https://blog.so-net.ne.jp/MyPage/blog/article/edit/input?id=96788797


https://ameblo.jp/ha92/entry-12234823488.html


 


 あれから、五か月。


藤岡先生が抜け番で、私の麻雀を観てくださっている。


よいところ、を見せよう、とは思わない。


ただ、死力を尽くした打牌が


どんな残響を残してくれるか?というところである。


牌の気持ちを、考えるのであれば


①②⑤⑥⑦⑦⑧⑨44789


このテンパイ取りはないな、


そう反省。


ただ、ピンズに異様な違和感を感じる。


⑦ピンを引いた。


このこと。


おそらく、次局も同じような


悩まされる形に出会うのかな?


そう思い背後の視線に感謝しながら


次局へむかう。


 


あしたはどっちだ?
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4巡目ペン③ピンテンパイ。 [閑話休題]

 


4巡目だった。


一発裏のないルール。


①②⑤⑥⑦⑧⑨446789


ドラ⑤


南場、南家


点棒は32000点くらいもっている。


リーチは打てない。


ダマで④をひいて、⑦ピンと振替えて


それでもダマ。


後ろで、F岡先生が、みてくださっているので


「いいところ、みせよう」なんて気持ちに


打牌を揺らさないように、静かに


⑦を引いてきた理由を考える。


これは、④を引いて


①②④⑤⑥⑦⑧⑨44789


このテンパイとならなかった理由は


そのまま受け止めれば、イッツーじゃないよ!


と教えてくれているようなもの。


だから、このペン③のテンパイを壊して


もう一度、和了しやすい最強ターツを探る旅にでるべきだったのだ。


イッツーじゃないよ?


と教えてくれている。


でも、ダマでこのペン③のツモ和了を逃すことが怖かった。


④の振り替わりを、拒否することもこわかった。


テンパイを壊す勇気がなかった。


そのわたしの意気地のなさをあざ笑うかのように


③が場に踊る。


終盤に、場に3枚見えているマンズの七八九を


立て続けにツモ切り、


ああ、この手は、イッツーじゃなくて


789の三色になりたがっていたんだな、と


気づかされることになる。


テンパイって和了の抽選を受けることができるわけだから


非常に魅力的。


ましてや、今回のようにテンパイし、


高いテンパイ系形へ変化できる13枚というのは


とても魅力的だ。


けれど、肝心の和了に必要な③への道が


険しいのであれば、やはり、そのテンパイは取るべきではない。


④を引いてイッツーテンパイであれば、ダマでロン和了でき


なおかつ高得点の見込める13枚ではなく、


⑦引いたために、ダマでのツモ和了しかかなわず、


高得点も見込めなくなった地点で、


やはりシャンテンに戻すべきだ。


ツモ和了しかできないダマテンパイは


それすなわち、和了困難なテンパイ、ということなのだから。


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あしたはどっちだ?
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4人で打つ、ということ。 [閑話休題]

 あしたのジョーを観ている。


小学生の頃、友人の家の3階の床に転がっていた


あしたのジョー。


原作は一気に読んだ。


絵柄も話も好きではない。


けれど、突き刺さる哀愁がある。


とても真実に近い何か、をこの作品に感じている。


力石を殺してこめかみへパンチを打てなくなった


ジョーに、力石が語りかける。


「よう、矢吹、どうした。」


「どうもしねえよ。」


「そうか、じゃあな。」


たった、これだけ。


言葉はない。


言い訳も、説明も皆無。


だけど、だからこそ、伝わるものがある。


表情ひとつから、読み取れることもある。


言葉ではなく、表情だから、読み取れることもある。


:::::::::::::::::::::::::::::


某プロ雀士の方と同卓する。


彼にとっては、1円にもならない、


評価もされない、ただのフリーの対局だ。


真摯でよどみない打牌。


麻雀への想いが一打一打に刻印されているようだ。


そのオーラス、トップ目だった私が


「自らの和了で決着をつけよう」と


我慢が効かない自分を感じながら


シャンテンで離した中で、結果


3000,6000が生まれ終局した。


ちょっと、身勝手かな、


テンパイまで引っ張るべきかな、


との反省のなか、終局のご挨拶。


そのあと、わたしの視界の隅に


その雀士の曇った表情が残る。


その瞬間、全てを悟った。


ああ、そうか、中を止めてくださっていたんだな。


場を抑えて、他家に高得点を許さないために。


中を抑えた瞬間に、テンパイも狙えないだろうに。


それを、わたしは、自分のトップという安易な理由で


切り飛ばした。


楽で雑な麻雀。


結果よりも大切なこと。


中を抱えていると和了できない、形式テンパイも困難。


なら、和了となるまえに、切り飛ばさないと。


そして、余剰牌を打ち取るんだ。


こうして、文字にしてみると、


いかに自己中心的で、幼稚か、がわかる。


中を切らなければ、中を鳴けない他家は和了が困難になり、


その結果、高得点が生まれず、流局の可能性だってある。


カウンターを打てないテンパイの入らない状態で


切り飛ばした中は、責任の取れない牌。


和了牌になる前に、中を切り飛ばして


なまじセーフだったとしても、今度はその他家の


高得点テンパイと戦わなければならない。


中は捌き切れないから切る。


他の数牌なら、なんとかなるかも。


というのは、あまりにもいきあたりばったりだ。


ひろりん師匠の声が聞こえる。


「あんた、なんちゅう牌を切りよるんね。」


「すいません。」


麻雀の対して、真摯でない自分の浅はかさを痛感する。


帰りの電車のなか、たくさんのことを考える。


やはり、心のどこかで、麻雀を軽くみている。


言い訳の多い麻雀。


答えを求めすぎているのかな、と思う。


本当の諦観は、こういった目先の問答ではたどり着けない。


自分のたどり着きたい麻雀が何なのか?また、霧の中だ。


でも、自分が納得できなければ、意味がない。


中を止めることも、切ることも、


どちらも、きっと正しい。


問題は、自分がその打牌に敬意を払うことを、忘れてしまっていること。


もし、この中を切ったあと、自分が和了かなって


他家の高得点をつぶしてトップをとっていたとしても、


あのプロ雀士の表情で、その打牌について


私は深く考え込んでいるとは思う。


問題は、あのプロ雀士の表情をいただけなければ、


他家を我慢に気づけていない、という浅はかさにある。


麻雀は4人で打っている。


自分のことだけ、考えての自己満足は


サイコーにかっこ悪い。


さらに、そのことに気づけないことは、言わずもがなである。


不特定の方との対局においては、


挽回の機会など2度とない、と思って


本当に真摯に誠実に向き合わなければ、ダメだ。


最近は特に、麻雀は偽物過ぎて軽すぎる。


 


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天鳳さん [閑話休題]

 


さくさく打てる麻雀が好き。


毎局、オーラスでもいいくらい!


天鳳さんの


東風戦のはやいやつが、最近はお気に入り。


さくさくっと打てて、


なんとなく麻雀打った感がある。


東風を3回。


そんなに時間はかからないし、


そのくらいが結構楽しい。


赤有りなので、手順を外さないほうが


圧倒的に結果に繋がるけれど


それだと、あんまり楽しくないんだよね。


でも、赤が5である地点で、


もはやチャンタの出番はない。


役牌と赤を軸に局を回すばかり。


リーずも!あか!裏!親!


がもっともさいきょう!


テンパイ!即リーチ!


お酒とおつまみをお供に、


そういう風に牌と戯れることも、これまた


けっこう楽しいものだな、と思うのだ。


ただ、牌を触っているあの


「麻雀打ってるぞ!」という感覚が


天鳳さんでは味わえないことだけがざんねん。


ちなみに、あべまふかしんで、


他の人の麻雀を観戦しているときでも、


お酒とおつまみがおともとなる。


 


 


 


 


 


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Yにょとの旅打ち、再録しました
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訊ねてはいけないこと [閑話休題]

麻雀が博打だった頃に、麻雀を好きになった。


だから、他人の麻雀について、


その意図を尋ねたり、


観戦したり、などということに対して


現在でも少なからず抵抗がある。


「訊ねなければわからない」


という理由から


「訊ねている」


そのことが、


なんだかとてもいけないことのように思えてしまうのだ。


例えば、映画を観て、おのおのがその感想を持つ。


私の観た感想と、誰かの感想が同じであるはずはないし、


同じである必要はない。


そういう答えあわせは「野暮」だ、と思うのだ。


私の思うところに一打の理由が


その同卓者の麻雀観を踏まえてどのように


感じられているのか?


そのことを、どうだったのか?確認をして


何らかの解を得ようとすることって、


なんとなく無粋な気がしてならない。


現代の麻雀では、


手牌はおろか、牌山まで衆目に晒される。


そのことに平然となれない自分がいる。


つかさ会では、勉強の為に


手牌オープンで対局を、などということもあるけれど、


そういうときに、


きっと、わたしひとりが、勝手に


罪の意識に(勝手に)さいなまれているのだ。


つかさ会では、


「勉強会なのだから、終局後の手牌オープンは


励行しましょう!」


という、勢いのある意見も多い。


ただ、自分だけが、


「麻雀の牌は伏せられていて


その姿がわからないからこそ、魅力がある」


と思い込んでいるだけなのだ。


そういえば、


仲間打ちでも、他人の麻雀についての口出しは


ご法度だった。


フリーでもそう。


後ろで観戦!


とか、ぶっとばされてたもの。


時代が違うんだなあ、きっと。


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ツキ牌としての東 [閑話休題]

東を大事にする。


過去東に裏切られたことはない。


迷ったときは東を大事にする。


東はわたしのツキ牌だから。


::::::::::::::::::::::::


ひさしぶりのつかさ会。


なんか、みんな楽しそう。


そういう楽しそうな空気のなか、


なんとなく、自分の温度に違和感を感じる。


北家で、和了に向かう予定もなく


場に高い色と高い牌を作って親番を落とす。


ソーズ6枚から、ソーズ仕掛けだ。


ソーズの色と字牌を高くして、親を落とせばよい。


そう思ってノリノリで色と字牌を集めていたら、


なんだか、チンイツてんぱってしまいました。


東を切ってテンパイ。


チンイツ。


テンパイ。


場に東は高いけれど、


どうせだれもテンパイなんて、できていない。


東が刺さって、致命傷になるのは、


親番へのダブル東の振込みだけれど、


どう贔屓目にみても、親番はノーテンだ。


東は他家からして自分に対してキツイ牌。


えい!


東をそよ風のように、河に置くと


「ロン!」


と、上家から声がかかった。


チートイドラドラ。


9600点


うわあ。


これはやってしまった。


東で失敗すると、回復困難。


東を見せないで入れば、みんなが困るとおもった。


実際、困っていたはずなんだ。


で、こまった挙句、東を切らない手組として、


チートイツになったのだろう。


そう考えると、平安京エイリアンや、


ロードランナーのように、


自分で墓穴掘って、埋まって死んでしまった感じだ。


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ほんとうのきもちは、ひみつだよ [閑話休題]

 


 


諦観


仏教を強く学んだわけではないけれど、


いつも、思っている。


明らかにしたい、という気持ち。


麻雀だけではなく、麻雀をキッカケとして


本当のところを明らかにしたい。


:::::::::::::::


若者の麻雀のとなり。聞こえてくる。


一一⑦⑧678中中発発


一ワンが枯れているこんな状態から、


⑦⑧を払うという。


オーラス、ラス目の親番。


打点が必要な局面だから、発と中での


困難に見える字牌での和了を望む、というのだ。


発を引いて、中をツモる。というけいかく。


なるほど、場況を鑑みると、それはそれでアリだな、と思う。


中や発は拾いやすいだろう。


会話は続いている。


ソクラテス顔負けの対話だ。


いい面構えだ。


つづく言葉は、


「降着や失点は考えない」という。


現在、ラスだから、まあ、これ以上の降着はない、でしょう。


振り込んでも痛みがない。


でも、その考えに私は、とてつもない違和感を感じる。


恐れのない麻雀。


けれど、それは勇気とは違う。


「振り込んで降着することを恐れない理由」を考えると、


(この場合は、失点。)


やはりひとつの哀しい事柄に辿り着く。


「痛みがない」からだ。


「痛みがない」から、怖くない。


振り込んで、家がなくなったり、家族を失ったり


腕がなくなったりする訳ではない。


賭け麻雀から、ノーレート麻雀へ移行している昨今


かえせば、麻雀は「痛みを考えて」「痛みに備えて」打つゲームではなく、


純粋に自分の利益を追求するゲームになったのだ、と思う。


賭けないから、痛みがない、のでなくて


痛みなど必要がない、そのことが麻雀なのだと。


罰がなくても、めいめいの利益追求を戦わせる場なのだ、と。


なるほど、非常に合理的だ。


けれど、自分にとっての麻雀は違う。


確かにノーレートは楽しい。


誰も金銭的に傷つけることはないし、


不愉快な気持ちになることも少ない。


それに、ノーレートファイターのみなさんは、


(誤解をまねく表現だけれど)


どんなときでも、等しく同じ温度で麻雀に接することができる。


けれど、やはり、私はちがう、と思う。


わたしが違う、と思う。私の存在が違う、と思う。


そういうノーレートのなかにいて、自分の存在に違和感を覚える。


どこで、誰と打っていても、「自分は違う」と感じているのだ。


賭け麻雀をご存知ないみなさんは、賭け麻雀との比較などしない。


だけど、わたしは、いつも(オカネでなくても、)


打牌には等価交換の対価が伴うべきだと、そうおもってる。


けれど、自分がそういう温度になることは、ほとんどなく


自分への罰も存在しないまま、打牌を重ね


心のどこかが冷めていて、自分のニセモノ加減に嫌気が差すのだ。


自分にとってのめざすところは、何なのだろうか?


楽しい麻雀、共有する麻雀。


それも、悪くはない、と思う。


そう思うからこそ、重ねてきた時間だって存在するのだけれど。


ここのところ、ずっとひとりでたくさんのひとと麻雀を打ってきて


やはり、「厳しい麻雀」が打ちたいな、と思う。


麻雀にはいろいろな楽しさがあって、よくばりに


全てをほおばりたくなるけれど、


やはり、自分の本当の気持ちでの「麻雀」は


呼吸の出来ないくらいの深度でなければならないのだ、と思う。


そして、そういう深度につきあってくださる同卓者は稀有なのだ、と


いうことはよくわかっているのだ。


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死神 [閑話休題]

 


学生時代のことを、書いているのだけれど、


やはり、近況の記事も書きたい。


ということで、カテゴライズします。


さいきんのこと。


:::::::::::::::


必死で麻雀を打つことが、結構楽しくて


実は、麻雀にはまってしまっている。


卓に溶け込んでいく感じがたまらなく、よい。


ひとりで、過去のいろいろな麻雀を思い出しながら


紡ぐ打牌は、過去と未来の境目の存在を痛感させてくれる。


そうだ。


麻雀っていうのは、孤高の勝負。


楽しい麻雀も悪くはなかったけれど、


生きていること、を実感できる「全力麻雀」は


自分に「魂」の存在を印象つけてくれる。


知らないひとと打ちたい。


情報のないところから、牌の息吹を手がかりに


道をみつけてゆく。


これが楽しい。


果てしなく楽しい。


(以下、敬称略)


そういう自分へのご褒美なのか、


かつて、紙面や映像で憧れていた「死神の優」の麻雀を、


ほんの少し、観戦させて頂く機会にめぐり合えた。


安藤満、飯田正人、小島武夫、伊藤優孝。


わたしの麻雀の奥底にある強い憧憬。


二三四六七八②④34678


オーラス


ここに、3ソウを引く。


二三四六七八②④334678


場にはピンズの染屋が居て、


ピンズでのテンパイは避けたいところ。


けれど、テンパイは偉い。


場的には、ソーズはよくって、ピンズは苦しい。


でも、テンパイとって和了がデフォかな?


近代麻雀では。テンパイえらいの法則?


とか思っていたら、


するりと、3ソウツモ切り。


次巡、②を重ねて


二三四六七八②②34678


リーチ。


わかってはいても、なかなかできない。


目先のテンパイ、という誘惑に惑わされることなく、


場に合致した手組を目指す。


強いテンパイの先にある、強い和了。


なんだか、当たり前に心地よかった。


あと、打ち姿が無頼でよい。


これぞ!麻雀打ち!って感じ。


 


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東海大学前 [閑話休題]

 


                                                   4年間暮らす予定の部屋に荷物を下ろし、


大学近辺を散策する。


これから、出会う仲間と麻雀を打つ場所。


雀荘がいくつあるのか、確認しておきたかった。


歩き回って、6店舗ほど見つけた。


それから、麻雀を打てる仲間を探した。


けれど、みな、麻雀どころではない新生活に目を向けている。


どうかしている。


気は確かなのだろうか?


大学なのだから、大学、というくらいなのだから


麻雀サークルくらいあるだろう、と


必死で探しまわるけれど、どこにもない。


そんな砂を噛むような日々が続く。


部屋で、ひとり麻雀、を打ったりして


「明日こそは、麻雀が打てるだろう、」と


祈り続けているような日々。


打ちたい!


打ちたい!


麻雀が打ちたくて死にそうな私は、やはり、ついに


限界を迎えた。


ついにひとりで、フリー雀荘にゆく。


本厚木のテンピンの雀荘。


金曜の授業のあと、凸して


麻雀が嬉しくて楽しくて


牌を握っていることが、もう突き抜けるくらい


気持ちよかった。


おにぎりセットがチップ1枚。


おにぎり2つと味噌汁のセット。


それを4回くらい食べて、居眠りして


気がつけば朝が来て、14万だかなんだか負けて


月曜日の講義はいろいろな意味で気を失っていた。


ゲーム代だけで50000エンは使っている。


麻雀をうちたいだけなのに、何故こんなに大変なんだ?


20歳の若さで、くたびれはて憔悴しきっていた。   


そんななか、大学前に新規のフリー雀荘がオープンした。


いくらだろうか?


レートのことばかり気になる。


勝ってもお金いらないから、


とにかく、いっぱい打ちたい。


負けて払えなくなって打てなくなる、


そこまでの時間が長ければ長いほどよい。


豪華なドアの前。


私は、内心「これは、高レートだわ~」


と感じていながらも、そのドアに手をかけた。


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上京物語 [閑話休題]

 学生時代の友人と、おいしいお酒を飲む。


飲む口を持たないわたしが、おいしい、と感じる至高の時間だ。


学生時代、となると、やはり麻雀のハナシになる。


1日でいいから、あの日に戻りたい。


そんなふうに思う日が来るとは、夢にも思わなかったけれど。


 


わたしが、学生の頃、はじめて通いだしたフリー雀荘。 


東海大学前のフリー雀荘。


このあたりの頃の出来事は、思い出すだけでも


なんともいえない切ない気持ちになる。


この場所で卓を囲んだたくさんの友人たちが、


現在も遠い空の下で、この雀荘のことを


どこか心の拠り所にしながら、生きている。


絆、なんてものがあるのだとしたら、


それは、きっと、「気がつけばそうであった。」


という類のものだ、と私は思う。


::::::::::


 予備校時代は、麻雀しか打っていない、と言ってもいいほど


本当に麻雀に夢中だった。


なので、予備校生のクセに


自分ではかなり麻雀が達者なのだ、と思っていた。


予備校冬物語の2年間、ばっちり麻雀の勉強に費やした。


なので、予備校という鎖が外れたその日から、


地元北九州の仲間たちと、徹夜で麻雀を打ち続けた。


徹夜で打ち続ける麻雀。


本当に夢のような日々だ。


これが、この先4年間、続くのだ。


ああ、生きててよかった。


大学生。


といえば、=麻雀。


合格発表から、入学式まで


いやになるほど(いやにはならないのだけれど)


麻雀を打って九州から、神奈川へ。


関門海峡を渡り、中国地方を駆け抜け 富士山をのぞむ。


その新幹線の車内でも、


わたしは、麻雀のことしか考えてはいなかった。


「どんな麻雀が待っているのだろう?」


そう思うと、わくわくして、


走り出したいくらいだった。


 


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