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猶予う季節の中で [啓雀会にて]


麻雀から、離れて過ごしている。


それでも麻雀を打ちにゆく夢は見る。


麻雀が打ちたくて仕方なくて


なんとかメンツを揃えて雀荘に向かう夢。


暖かい部屋のソファーで仲間の麻雀を眺めて


牌の音を聞きながらウトウトしている夢。


そういうことを心地よい、と思っている。


誰よりも強くなりたい、とか、


そういう気持ちは、もう自分のどこにもない。


勝ちたい、とも思わない。


負けたくない、とも思わない。


たまに夢中になれる時間もあるけれど


それは儚く、続かない。


ただ、流れていく季節の中で、相応に軋んで


おのずと対局の数も減り


麻雀から離れれば離れるほど、


「麻雀へのとらえ方」が変化している気がする。


熟練度を競うのではなく、気持ちが大事になっている。


上手に打てることよりも、「誰と」「どこで」


「どのように」に楽しむことができたか。


あの時、あの場所で、あのメンツで打っていて


こういう牌がきて、・・


そういう今まで自分でも思い出せもしなかった対局を


思い出すことが多くなっている。


拙い、自分のことばかりの麻雀だったけれど、嫌いじゃない。


昔のわくわくを思い出し、それをゆりかごにして


余生を過ごしているようなそんな日々。


自分が現在麻雀を打っている理由は、


自分と麻雀を打ってくださる人がいるから。


自分の麻雀を許してくれているひとがいるから。


だから、麻雀のそばにいる。


例えば「まぁじゃんよつば」に来店されるプロの方は、


麻雀の魅力を全力で伝えようとしてくださる。


つかさ会に参加してくださる方は、麻雀を全力で楽しんでくださっている。


啓雀会に参加してくださる方は、溢れんばかりの情熱を打牌に注いでくださる。


そういう周囲のひとの情熱のおかげで、自分はかろうじて、まだ麻雀のそばにいる。


自分がどうこうするよりも、麻雀を好きな誰かが、わくわくしている姿をみることが好き。


みんなでいっしょに、麻雀を旅したい。


道中を、その景色を味わいたい。


そんなことを、割と本気でおもっている。


かつて自分を構成する要素のほとんどであった、強くなりたい。


絶対負けたくない。そんな気持ちは、もう、どこにもない。


そういう意味では、プレイヤーとしてもう終わっている。


ただ、過去の大切な麻雀と対局者をがっかりさせないように


無難な牌を並べてそれなりの結果のなかでたゆたうばかりだ。


失礼がないように、晩節を汚さないように、重ねている。


心は「どうしてしまったのか?」と思うほどプレイヤーとしての


自分自身の麻雀については、興味がなく、冷え切ってしまっている。


::::::::::::


そんな季節の中、7月28日が来る。


「まぁじゃんよつば」様に村田光陽プロがいらっしゃる。


まだ、現在よりも自分自身麻雀に熱があった頃、


小田急、中央線を乗り付けて、秋葉原雀友倶楽部に通っていた時期があった。


村田プロの麻雀がたまらなく好きだからだ。


ほんの1回同卓できるか、どうか、ではあったけれど


それは自分にとっては、珠玉の対局。


帰路。片道2時間の帰路。


村田プロの打牌理由を想像して、その打牌の理由をひたすら反芻する。


リーチに一発で、メンチンを振り込んだこと。


芸術のようなチートイにふりこんだこと。


自分にはマネのできないホンイツの手順。


その村田プロが、「まぁじゃんよつば」にいらっしゃる。


緊張感のない自分の麻雀を抱えて


本厚木につき、店内に村田プロの姿をみつける。


不思議と、とても、懐かしい感覚があふれる。






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